面白かった。
以前kurageで木戸さんが熱いヴィヴィアン愛を語ってるのを聞いたのだけど、
ワタシ、ヴィヴィアンの歴史をあんまり知らなくて単純にまあ!木戸さんってオシャレね〜〜と思ってたら、創業当初はヴィヴィアンもラバーショップだった時期もあるんだね。
それ以外にもkurageの理念的なものとかクリエイターとして確かに近しいものがいくつもあってこの映画を見て親和性納得納得 となりました。
しかし日本でよく売ってるオーブをぺっで貼り付けただけのハンカチとかソックス、ヴィヴィアンさんが知ったらすっごい嫌がるんだろうなァ〜。
自分の知らないところで勝手に大きくなっちゃうのも仕組み的に仕方ないけど怖いよね。
なんでも全てを自分が司っていたいタイプの人には会社が大きくなってくのってとっても苦痛だろうなあ。
ワタシも今は手の届く範囲でなんでも自分一人でで完結したいタイプだけど、それは妥協が許せないというより他人の意識が介入すると性格的に意思がブレて(相手も意思ある人間だから尊重したくて結果自分を見失いがち)
結局個人個人のエッジが消えて 疲弊した割に誰も満足しない中途半端な感じの仕上がりになるのがこれまでの経験上何度かあったので、近年は意図的に避けてるのですよね。。。
基本性能は超めんどくさがりなんで、許されるならば、お願い途中までやって〜〜ってかもう全部作って〜〜って丸投げしたい気持ちはいつだって山々なのに。
でももう手を貸してくれた人にお金以外で恩返し出来る自信が無いのよね。人づきあいも悪いんで。。
そらぁ人間がたくさん居たらみんなが全員満足して幸せになれるなんてこたぁまず無いですよ。だったら不幸になる人減らしたいのよね。
ワタシの作品見て不幸になった!って人が居たとしても、そりゃー知らんがな だけど
実際に接して何か一緒にやろうってなった人にはなるべくそうはなって欲しくないからなあ。時間かけるならば尚更全員がそれにかかった時間分人生を削ってるわけですから。
うん、ていうか他人の心とか自分がどうしも出来ない事柄で翻弄されたり振り回されて疲れるのがもうとにかくめっちゃ嫌です 今後の人生は自分の事にだけに集中したい(本音)
で、モノを創造する人は、作品にメッセージを託してる事が多いと思うんだけど(ヴィヴィアンさんもそうでファッションモンスター的なイメージだったけど、実際には初動からして活動家だった。)
ワタシは自分で作るものには特に伝えたいことってないなあ、と改めて思った。
意味みたいなもの コレがここに着いてるのはこういう訳があって とか、なんとかのオマージュです みたいな小ネタは満載なんですが、自然を守ろう!とかそういうのは一切無いし世間に強く訴えたい事も特に無い。。。
ただ、自分が今まで生きてきた中で 見たもの、読んだもの、食べたもの、遊んだもの、聴いたもの、それで感じた事、トラウマ含めを全て咀嚼し吸収したあと排出したものがワタシの生み出すビジュアルのイメージで、いわばそれって ウンコと全く同じですよね。
そうだ、ウンコウンコ。
確かこれ須田剛一さんも言ってましたね。うんこ理論。いたく それな。と思いました。
ウンコだってね、まだまだ畑を肥やせますからね。
来年の今頃にはナスなんかがたくさん収穫出来るようワタシもぷりぷり頑張るんだ。