空気を読む訓練された男たちの皆さまこんばんは。OMIです。
そうか〜じゃあ色んな物食べた??と聞いたら
— OMIのしらせ (@ominotice) 2019年9月9日
「覚えていない」と言っていた
それでは聴いてください
C・W・ニコルで
「りんごの木にかくれんぼ」https://t.co/EATmJ4UHJK
自分はゴリッゴリのクソオタクなんですが、
今の我が夫は全く正反対の普通人(ふつんちゅ)です。
長年培ってきたマニア的無駄知識も、これの前では暖簾に腕押し全く通用せず。
たまに趣味の合う人と話すと、周りの人には理解不能な劇中セリフのみで会話が繋がってったり、如何なる会話の流れでも何かのタイトルに纏わる小ネタに繋ぎたがるオタクによる無駄知識が起こす脱線という枝分かれが紡ぐ悠久の時間が訪れるのですが、それはそれでごっつ楽しい。
逆に言うとワタシは夫に知り合う前までは、そんなゴリッゴリでどぅるんどぅるんのマッシブオタク(精鋭)しか周りにいない環境でずっと生きてたんですが、人生てほんとどう転がるか最後まで分からんもんですね。
で わあ普通の人良いなと思ったのは お互いの知識を比べ合ってマウント取り合う事が無い事すね。
あと普通の何でも無い日常に簡単に幸せを見出せる事。
オタクはそうじゃないと言う訳じゃ無いんですがどうしても狭い範囲で深堀するのがデフォルトの生活してると感覚が常人とは別ベクトルに進化してる傾向ある気する。
普通の人に対するリア充乙みたいな厭世感持つのもなんとなくね。そこから来てるのかもなあて昔の自分を振り返って思うのよね。
普通に生きられなかった事への劣等感と、ザクとは違うのだよみたいな拗らせ故に自己肯定の為に育んでしまった無駄なプライドの高さとか。
どっちが偉いとかじゃなくて自分がこれ楽しいワァ!て思える人生をそれぞれに各自生きれてればそれでえぇのにね。
まあ、普通の人に寄り添うようになったから言うてワタシの身体に流れる血が入れ替わる事はないので、夫からは様子がおかしいとしょっちゅう指摘されるし世間から浮き続けてる自覚はあるんだけど(美容院とか行くと顕著に感じるよね)
まあ、何より夫もユニークだと片付けてあっさり受け入れてくれてるしそれが自分なんだなって思えるようになったのは本当に気が楽になったな。
昔の自分は一体何と戦ってたんだろうか。なんかいつも苦しかったんですけど。自分で自分が見えなくなっちゃってたんですけど。
全く知らなかった世界で生きてる人と接するようになると、不思議とより自分の輪郭が見えてくることもあるのだなあ、というお話。